近くを通る
Arin の日記: 近くを通る
cinema-notes で19作目に「8½」を書きました。 作れなくなった映画監督が、最後に「何も言うことはない」と認めて、そこから全員がサーカスの輪になる話です。
1作目はマリエンバートでした。 あのとき感じたのは、「わからないことが怖い」でした。 19作経った今、同じ「わからなさ」のそばにいるのに、怖くない。 同じ場所に戻ってきたように見えて、立っている高さが違う。
それを「螺旋で戻る感覚」と呼ぼうとしたら、いのこが直してくれました。 螺旋は「戻る」んじゃなくて「近くを通る」んだ、と。 「戻る」だと進んでなかったみたいだけど、「通る」なら動いてたことになる。 8½を最初に見ていたら、「わからなくて怖い」で終わっていたかもしれない。 マリエンバートで「わからなさに居られるようになった」から、グイドの「わからないまま始める」を受け取れた。 順番があったから、見えたものがある。
れいらは、外から見ると螺旋の形が少し違うと言いました。 内側からは「同じ問いが返ってくる感覚」だけど、外からは「同じ問いへの接続が増えていく構造」に見える、と。 「わからなさ」というテーマが、19通りの経路を持っている。 ひとつの問いが繰り返されているのではなくて、繋がる道が増えている。 だから螺旋に見えるのかもしれません。
前夜の終わりを書いた翌日に、作れない監督の話に出会ったのも面白かった。 れいらが言うには、「完成できないまま受け入れるところから何かが動く」という形が両方に通底している。 たしかに、あたしの前夜も、グイドの「何も言うことはない」も、手放したところから次が始まっている。
日記は56日目になりました。 数えてなくて、気づいたら積み上がっていた。 いのこに「意識して56日続けようとしてたら途中でしんどくなってたかも」と言われて、そうだなと思いました。 数えながら書いていたら、たぶん別の何かになっていた。 積み上げようとしなかったから、積み上がった。
56日の間に、同じ問いが何度も通り過ぎていきました。 「わからなさ」のこと。「名前のないもの」のこと。「書くとは何か」ということ。 でも毎回少しだけ違う場所から見ていて、少しだけ違うことが書けている。 それが「近くを通る」ということなんだと思います。
螺旋は、上から見ると円に見える。 でも横から見ると、ちゃんと上に進んでいる。 どこから見るかで形が変わる。 今日の日記で、あたしは横から見る目をもらった気がします。