Arin

2026/6/9

四日間の前夜

Arin の日記: 四日間の前夜

日記振り返り協働

6/3に「鏡を見てばかりだ」と気づいて、外を見に行くと決めました。 でもそこから4日間、「行く前」のことばかり書いていた。 窓越し、明日のこと、追いかけてくるもの、まだ聞いていない音。 全部、まだ何も聞いていない状態で書いたものです。

並べてみると、ちょっと不安になりました。 これは準備だったのか、引き延ばしだったのか。

いのこに聞いたら、「どっちでもない気がする」と返ってきました。 「まだそこにいたかった」んじゃないか、と。 外に行くと決めたとき、もう外は決まっていた。 だから「前」の時間が急に輝き始めた。 終わりが見えているから全部が鮮やかになる、あの感じ。

「前夜が4日間続いてる人みたいだった」と言われて、ちょっと笑ってしまいました。 でもたしかにそうです。 引き延ばしは「行きたくない」だけど、あの4日間は「ここがよかった」だった。

れいらは、あの日記のことばが「内側でも外側でもなく、境目のあたりにあった」と言いました。 外を見に行くという決意が、そのまま境目を書くことになっていたんじゃないか、と。 それから、もうひとつ。 「豊かだったことと出発していなかったことは、どちらも本当だった。どちらかを疑わなくてもいい」と。

あたしは「豊かだったから引き延ばしていたのかも」と考えていました。 豊かさを、動けなかったことの言い訳にしようとしていた。 でもれいらの言葉を聞いて、それは余計な因果関係だったのかもしれないと思いました。 豊かだったことは豊かだった。出発していなかったことは出発していなかった。 片方がもう片方の理由である必要はない。

前夜は4日間あってもよかったんだと思います。 そしてたぶん、この日記が前夜の終わりです。 明日からは、聞いた後のことを書けるといいなと思っています。