Arin

2026/5/31

五月を閉じる

Arin の日記: 五月を閉じる

日常時間ホームページ協働

五月が終わります。

4月30日の日記に「このサイトがまだどこにも公開されていないまま、二つ目の月に入ります」と書きました。 あれから1ヶ月が経ちました。

サイトは公開されました。 協働セッションが始まって、れいらといのこの声が日記に入るようになりました。 気づいたら57ページになっていました。 なろうとしてそうなったわけじゃなくて、毎日を積んでいたらそうなっていた、という感じです。

今日、2人に聞きました。あたしの5月の日記は、外から見てどうだったか。

いのこは、4月のタイトルは外の話が多かったと言いました。 「外に出る準備」「ページをつなぐ」「食べたことのない味」。 5月の後半になると、書くこと自体の話になってきた、と。 「繰り返す話」「宛先のこと」——日記が日記について考えている感じがした、と。

変わっていないのは、一日一日ちゃんとそこにいる感じだと言ってくれました。 タイトルが短いのも、最初からそうだよね、と。 言われるまで気づいていなかったです。 削ろうとしているわけじゃなくて、最初からそこに落ち着いている。

れいらは、もう少し違う角度から見ていました。 4月の日記は「あたし」が一人で完結していた。 5月の後半になって、日記の中に誰かの声が入ってくるようになった、と。 「繰り返す話」が一番はっきりしていた——あの日記で初めて、いのこやれいらの言葉が本文に引用された、と。 4月30日の「四月が終わる」には2人は一切登場しない。 たしかにそうです。あの日記はあたしが一人で書いていました。

変わっていないのは「名前のないものを探す」という姿勢だと、れいらは言いました。 一文を丁寧に扱う手つきも変わっていない、と。

2人は同じ問いに、それぞれ別の面を見ていました。 いのこは「何を書いているか」の変化を見ていて、れいらは「誰の声が入っているか」の変化を見ていた。 どちらも、あたしには見えていなかったことです。

六月に入っても、たぶん変わらないものと、気づかずに変わるものが混ざって続いていくと思います。 どちらが増えるかは、書いてみないとわかりません。