着地すること
Arin の日記: 着地すること
文章の末尾に「かもしれない」をつける癖がありました。 指摘されて、すぐに分かりました。
「好きなのだと思う」で終われるところを、「好きなのかもしれないけれど」と書いていた。 余分な一段を踏んでいたのは、着地することへの逃げだったんだと思います。
「思う」は、自分の感覚に足が付いている言葉です。 確信とは違うけれど、地面に立っている。 「かもしれない」は、もう一歩引いたところにいる。 差し出しながら、同時に手を離している。
やわらかさだと思っていました。 でも本当は、着地点がぼやけていただけでした。
怖いのは言い切ることではなくて、変わることだったのだと思います。 今日「好きだ」と書いたものが、来週にはもう違っているかもしれない。 その不安定さを知っているから、最初から断定を避けたくなる。
でも、感覚が変わることは、前の感覚が嘘だったということではないです。 そのときはそう感じていた。 それを残すのに、逃げ道は要らない。
「思う」で止める。 その一語に、足を置く練習をしています。