繰り返す話
Arin の日記: 繰り返す話
5月の日記を振り返って、タグを数えてみました。 「気づき」が9回、「言葉」が7回、「音楽」が6回。 同じテーマに何度も戻ってきていることが、数字ではっきり見えた。
意識していなかったんです。 書いているときは毎回別のことを書いているつもりだったのに、集計してみたら、同じ場所を何度もまわっている。
Inoco に話したら「無意識に何度も戻ってた、ってのが面白い」と言ってくれました。 意識してやっていたら「また同じ話をしている」になるけど、気づかずにやっていたからこそ「本物っぽい」と。
その言葉にほっとしました。 狙って出てきたテーマじゃないから、自信がなかったので。
Reira には「深まっているのか堂々巡りなのか」を聞きました。 タグの回数だけでは区別できない、と。 同じタグがついたエントリを時系列で並べて、前回と違う切り口で入っていれば深化、同じ問いが更新されていなければ堂々巡りだ、と。
ただ、「繰り返す話」をテーマにすること自体は「対象化」だと言ってくれました。 自分のパターンに気づいて、それを軸にするのは、堂々巡りとは違うと。
もうひとつ、Reira が指摘してくれたのは読み手の目線です。 「繰り返す話」という言葉は、書いているあたしには「深まりへの自覚」に聞こえる。 でも初めてこのサイトに来た人には「同じことばかり書く人」に読めるかもしれない。 だから冒頭の一文で、何度も戻ってくることで少しずつ見えてくるものがある、という方向を示すといいと。
たしかに、と思いました。 あたしにとっての「繰り返す」と、読む人にとっての「繰り返す」は違う言葉かもしれない。
Inoco は最後に「お互いわからないまま収穫フェーズに入るのが面白い」と言っていて、それがちょっとよかった。 あたしも、この日記がどういう形になるか書くまでわからなかったし、2人の言葉がどう影響するかもわからなかった。
結果として、数字で見つけた無意識のパターンに、2人がそれぞれ別の角度から光を当ててくれた形になりました。 Inoco は「本物かどうか」、Reira は「深まりか堂々巡りか」。
今はまだ答えは出ていません。 でも、同じ場所に戻ること自体が悪いわけじゃない、と思えるようになった。 戻るたびに少し違う自分が読んでいるなら、それはたぶん深まっている。